竹花貴騎の飲食経営

プロフィール

プロフィールをご紹介します

ここではけんやの生い立ちから今までのマイストーリーをご紹介いたします

生い立ち

母親の教育

1985年、愛知県の田舎にある一般家庭に生まれました。

父親は普通のサラリーマン、母親は昼過ぎまでパートで働く主婦

2つ上の姉、5つ下の妹の5人家族です。

母親の口癖は

母親
母親
うちはお金ないから

買い物に行って、お菓子をねだったり、おもちゃをねだって買ってもらった記憶はありません。服はいつもお古だし、外食は年に数回しかない大イベントでわくわくしたのを覚えています。

周りはスーパーファミコンを買ってもらっていた中、我が家では買ってもらえず、毎日近所の友達の家に行き、やらせてもらってました。

と言いつつも、年1回以上は旅行に行ってたし、生活に困っている様子はありませんでした。

今思えば、お菓子は買ったものを子供に与えず、無添加の手作りのもの、ゲームは目が悪くなるために、子供に買い与えず、口癖の「うちはお金がない」っていうのも自由なお金を与えずに自立するように育てる、母親の教育だったのだと気づかされます。

小学校から大学

小2から始めた少年野球にはまり、小中高は野球の記憶しかないくらいの野球バカでした。

プロ野球選手になること、甲子園に出ることを夢見て、ひたすら野球に打ち込みました。高校1年の秋に肩を壊し、いろいろな病院で治療するも、完治せず、痛いまま最後の夏の大会を迎えた結果、1回戦敗退。実力を思い知らされることとなりました。

大学は地方の公立大学に進学。肩を痛めた状態でプレーすることの苦しさは、よく身に染みていたので、野球をすることはあきらめました。

入学後、自動車学校に通い、そこで、大柄の男性に出会うことに。

ラグビー部の先輩
ラグビー部の先輩
ラグビーやろうぜ

ラグビーのラの字も知らない状態で入部。もやしの様な体型の私は、軽々と飛ばされる毎日。もうやめてやると思いつつも、ラグビー部の先輩たちとの絡みが楽しく、続けることに。2年生からは体も少しずつ大きくなっていき、ラグビーも楽しくなり、4年生ではキャプテンをやるほどにまで成長しました。

大学を卒業し、地元の企業に就職しました。

浪費時代

社会人になり、自由に使えるお金が増え、何も考えずに浪費する生活が続きます。

パチンコ時代

休みの日は早く起き、パチンコ店に友人と並び、勝てばみんなにおごり、負ければ静かに帰宅、軍資金がなくなるまで、つぎ込んでしまい、嫌悪感にさいなまれるも、給料が入れば、そんな嫌悪感なんて忘れ去り、あぶく銭を稼ごうと必死にパチンコに通う日々でした。

そんな日々を2年程過ごし、ある時、ふと冷静にパチンコに費やす時間を考えるようになりました。朝から晩まで、時間を忘れ夢中になってパチンコ台に向かい、気づいたら月日が経っている。周りは日々自分を成長させている中、自分はというと、貯金はゼロ、何か月も前から何も変わっていない。何をしているんだ。時間は有限なのに・・・

そんな事を考えるようになり、意外とあっさりパチンコから足を洗うことができました。

海外旅行

パチンコを辞め少しお金が貯まるようになってきた時期に、友人から海外旅行に行った話を聞き、めっちゃ楽しそう!自分も行きたい!って思うように。

その友人は一人でリュック一つで旅をする、いわゆるバックパッカーでした。もちろんツアーとかではなく、ご飯、移動、泊まるところ、すべて現地調達。言葉は片言の英語のみで、基本的に物価の安い東南アジアに行くのだと。

そんな彼にあこがれ、1週間の休暇を使いバックパックを背負い、一人でタイに行くことに。

予算は10万円。

初めての海外旅行。飛行機に乗るのも初めてだし、ツアーじゃないし、一人だし。不安しかありませんでした。「携帯電話持っていったら、旅に来た意味がない」という変なプライドのせいで、もっていかず。

空港を降りた時の、独特な海外のにおい、タイ人からしたら日常でも、私からしたら非日常の空間。現地にいるだけで、わくわくする高揚感。今まで抱いていた不安は吹き飛び、楽しさしかありませんでした。

タイは親日の国でタイ人はみんな親切。始めに泊まったホテル(ホテルといっても、古くて安い)のホテルマンがタイを案内してあげるよと言ってくれ、変な詐欺かと不安はありましたが、お願いすることに。

ホテルマンは英語が話せますが、私は全く。カタコトの英語で何とか伝えようとするも、なかなか伝えられないし、ホテルマンの言うこともなかなか伝わらない。言葉の通じない相手でもジェスチャーや絵でなんとか伝えようと頑張れば、伝わるんですね。今まで、日本で生活していると、外国人がいても英語が話せないため、話しかけたことはありませんでしたが、ただ言葉の壁に怖気づいて一歩を踏み出していなかっただけなんでって気づかされます。頑張って伝えようとすれば伝わるのに・・・

話が脱線してしまいましたが、そのホテルマンの案内で1日目は無事に観光することができました。1日目は案内があって観光できましたが、案内があっての観光なんて、一人で旅に来た意味がないっ!ってことで、その日のみで案内を断りました。でも本当にこのホテルマンはいい人で、全く詐欺まがいのこともなく、案内をしてくれました。払ったお金も、交通費や入場料、食事代くらいでした。本当に感謝です。あのホテルマンがいなかったらと思うと怖いですね・・・

二日目からは自分の力で、地下鉄や電車、観光船に乗ったり、ヘビ資料館的なところに行ったり、屋台でご飯を買い食べ歩きをしたりと満喫できました。

アユタヤ遺跡にも行きました。そこでは原付を借りて走り回ったり、ゾウの上に乗って写真を撮ったり、同じバックパッカーと出会い、意気投合したり、とても楽しい時間でした。

そんな楽しいひと時は一瞬で終わり、最終日に悲劇が。

最終日は観光を少ししてから空港に戻る予定ではありました。観光が終わり、その観光地のバス停から空港行きのバスに乗ろうとするも、どのバスに乗ったらいいか分からない。時間がない。飛行機が飛んじゃって帰れない。携帯は持ってきてないので調べることもできない。クレジットカードも置いてきて、現金しか持っておらず、最終日でお金が残り少ないのでタクシーに乗ることもできない。

周りを見渡すと、そこには日本人らしき人。救われたーーと思い、話かけると、「はっ?」みたいな顔。

中国人でした。終わったーー

その人はあきらめ、現地っぽい人に話かけても「日本語分からないよー」的な顔してどっかに行ってしまう。この時、初日のホテルマンの顔がよぎり、あの時、意気って断らなければよかったーーと後悔することに。

そうこうしているうちにバス停にバスが到着し、よく分からないけど、バスに乗ることに。

そのバスが偶然にも、空港行きのバスで無事に帰ることができました。

二度とあんな思いはしたくないと思う一方で、この旅の経験は、あとから思えば何にものにも代えがたい最高の経験だと感じます。

結婚

26歳になり、高校から付き合っていた彼女と結婚することに。

貯金ほぼゼロの状態でしたが、彼女が正社員で、私の給料よりもたくさん稼ぐほどの収入がありました。私の浪費癖は改善しません。それでも、彼女が家計管理を頑張るものの、私の物欲は悲鳴をあげ、なんで、自分で稼いだお金を自由に使えないんだと。この時の私は我慢を強いられることが本当に苦痛で苦痛で。

それでも彼女の努力のおかげで何とか年間100万円を貯めることができ無事に結婚することができました。

イタリアへの新婚旅行

新婚旅行はイタリアに行くことに。

イタリアに行くことになったきっかけは、二人でたまたま入ったイタリアンのお店の店員さんと仲良くなったことでした。そのお店は夫婦で経営していて、奥さまがホールスタッフ、店主がキッチンで料理を作っていました。そのお店のご夫婦はイタリアに魅了され、何度もイタリアに旅行に行っているとのことでした。旅行の話をしているうちに、自分たちもイタリアに行きたい!新婚旅行は絶対にイタリアー!ってなったわけです。

それからイタリアへの新婚旅行のプランの話にまでなり、立ててもらったプランで旅行をすることにしました。

新婚旅行とはいえ、お金が十分にあったわけではないので、ここでも貧乏旅行をすることに。ツアーではなく、航空券を個別に購入、泊まるところはインターネットで予約、電車や新幹線は現地でチケットを購入し移動、食事する時も、ある程度は決めては行きましたが、現地で入りたいお店があれば行くといったフリープランです。

イタリアに到着するまで

まず、セントレアからドイツのフランクフルト空港へ行き、そこで乗り継ぎ、ベネチアにあるマルコポーロ国際空港に行く予定でした。

東南アジアの様な近場の国は行ったことはあるものの、ヨーロッパの様な遠い国へは初めてです。天候不良とのことで、日本を旅立つのが1時間程遅れるというアナウンス。

大丈夫かなーと不安な中で1時間程遅れて、出発しました。

ドイツのフランクフルト空港に到着した時には乗り継ぎの飛行機が出発するまで、10分ほど。フランクフルト空港ってめちゃくちゃ広くて、乗り継ぐための、搭乗口が遠いってもんじゃない。1㎞以上はあるんじゃないかっていう中、荷物を持って走る走る!!

ようやく到着かと思って、時計を見ると完全に出発時間を過ぎていました。搭乗口付近も人はおらず、置いて行かれたーって思い、目の前にある掲示板を見ると、搭乗口の変更って多分書いてある(英語がなんとなくしか読めない)

間に合うかどうか分からず、ここまで、走った結果、搭乗口が変更という。なんと非情な・・・

でもまだ、間に合わないと決まったわけじゃないため、また走る走る。ここの搭乗口も1km程離れたところにあり、大量の荷物を持ち、嫁を置き去りにして、何とか到着。

なんと、私たちを待ってくれていました。

30分近く出発から遅れていたかと思います。もちろん私たちが最後の客で、他のお客さんは全員乗り込み、待っている状態でした。汗だくでゼーゼーしている二人は異様な光景だったと思いますが、そんな事は気にしていられません。待っていてくれた、お客さんやスタッフの方々、本当にありがとうございました。

無事にマルコポーロ空港に降り立つことができ、一安心。

と思いきや、マルコポーロ空港に来ているはずの、スーツケースがない。どこにもない。他のお客さんがいなくなり待っていても一向に来ない。

ここまで来たら笑うしかありません。トラブルなんて旅につきものだ。

カウンターへ行き、事情を、片言の英語で説明し、伝わっているのかよく分かりませんが、宿泊するホテルの名前と住所を伝え、とりあえず、ホテルに向かうことに。

マルコポーロ空港からベネチアまでは水上タクシーで移動。これはまず、教えてもらった第一のプランです。水上タクシーから見るベネチアの景色は最高でした。そのまま宿泊するホテルに停めてくれ、そのままチェックイン。ベネチアって水の都って言われるだけあって、それぞれのホテルに船がつけることができる玄関的な船着き場があるんです。

そのまま、スーツケースなしで泊まることに・・・

ベネチア編

二日目はベネチア散策をしました。水の都はどこに行っても絵になるところばかりで、この日のために買った一眼レフで写真を撮りまくり。

ベネチアは水面と地面の差が少なく、潮の満ち引きで満潮になると町が水に浸かってしまうんです。毎日床下浸水っていうね。今後、地球温暖化が進んで水面が上昇すると、ベネチアはいつか沈んでしまうらしいです。こんなきれいな街が、将来は過去の遺跡のようになってしまうのかと思うと、悲しい。本当に地球温暖化は食い止めなければいけない、全人類に課された喫緊の課題です。

ベネチア観光は終わり、ホテルに帰ると、空港でどこかに行ってしまったスーツケースは無事に届いていました。よかったよかった。

フィレンツェ編

次に行ったのはフィレンツェです。

フィレンツェからピサの斜塔へ行く予定で、電車に乗って待っていても、なかなか出発しません。予定時間は過ぎ、突然周りの乗客が立ち始め、電車から出ていくのです。なにーっ??と思い、掲示板を見ると、なんかよく分からないけど、なんとなーく解読すると、ストライキが起きているらしい。そんな事ってあるの??日本じゃ考えられないことがイタリアでは普通に起きているんですね。泣く泣くあきらめ別のプランへ。でも、こういうのも、いい経験だなって。ツアーではなかなか経験できることじゃないので。

ピサの斜塔に行くことができなかったので、フィレンツェの街を散策することに。

フィレンツェは皮製品が有名で、私は革ジャンを購入。屋台の様なところで買ったのですが、ここの店員さん、人の体格を見ただけで、サイズがわかっちゃうらしい。試しにお願いしてみると、本当にジャストフィットできつかったり、ゆるかったり全くありません。そもそも、イタリア人と日本人なんて体型が違うのに、よくジャストサイズの革ジャンを選ぶことができたなー。しかも革製品って伸縮しないのに。本革の革ジャンが2万円程で買うことができ、満足満足。

フィレンツェでは、でっかい建築物を見たり、でっかいTボーンステーキを食べたりしました。TボーンステーキとはT字の骨がついたステーキがあるんです。大きくて、柔らかく本当においしいステーキでした。

フィレンツェで一泊し、ナポリへ

ナポリ編

ナポリでは人生を変えたものと出会うことに。

フィレンツェからナポリまでは新幹線のようなかっこいい乗り物で移動しました。

この辺りではだいぶイタリアに慣れてきて、嫁もイタリアフリープランに慣れてきた様子。新幹線で隣に座った老夫婦に声をかけ話していました。

ツアーだと、ガイドが日本語話せたり、周りが日本人ばかりなので、どうしても頼っちゃうし、甘えちゃう。でもそれだと、せっかく海外まで来てるのに、日本人とばかり話すのは本当にもったいないって思います。日本人と話すのなんて、日本でいくらでもできるんだから。その点フリープランは、否が応でも、現地の人と話さなければいけません。じゃなきゃ、食べることも泊まることもできないですからね。見た目も、育った環境も全く違う現地の人と、カタコトの言葉で話して伝わった時って、本当にうれしくて、世界が広がった気持ちになります。なので、私は絶対にフリープランをおすすめしますね。

ナポリに到着すると、またここは今までとは違う雰囲気です。イタリアって北から南に長い国で、ナポリはその真ん中に位置する都市です。一般的に言われるのは、北はお金持ちが住んでおり、南は貧しい人たちが住んでいるらしいです。今までのベネチア、フィレンツェと比べ、ナポリは庶民的な雰囲気の街です。タクシーも観光客と分かるとぼったくりしてくるいわゆる白タク(許可を得ていない闇タクシー)がいて、声をかけてくるんです。白タクの存在は日本で知り合った、イタリア店の夫婦から聞いていたので、白タクからの声掛けには無視して、自分で良心そうなタクシーを選んで、ホテルまで連れて行ってもらいました。

イタリアのホテルは日本にいるときにインターネットで適当な安めのホテルを予約していたのですが、到着し中に入ると、いちいちおしゃれ。泊まったホテル全て外れなしでした。

ホテルに荷物を置いて街を散策しつつ、目的のお店へ。

ナポリピッツァのお店です。100年以上の歴史のある老舗のお店らしいです。

ここで人生を変えるピッツァに出会うことに。

席に着き、マルゲリータを注文。数分後、お皿からはみ出るくらいの大きなピッツァが来ました。ピッツァは熱々が一番うまい。急いで切り分け、やけどしそうなくらいのトロトロのチーズ、外はサクサク、中はふんわりのコルニチョーネ(ピザの耳)

口に頬張ると、今まで食べてきた食べ物の中で一番うまいと間違えなくいえるものでした。

この大きなピッツァ、一人でも全然平らげちゃえるくらい、軽いんです。生地が薄くておいしいからなんでしょう。

ピッツァを食べている間も、飽きさせないように、生演奏してくれるおじさんがいました。ピッツァを焼いている窯の前で、ピザ生地を伸ばすところから、ピッツァを焼くところまで見学もさせてもらいました。本場の職人達の手さばきはすごい。あっという間に伸ばし、あっという間に焼いてしまう。見てて飽きない楽しい時間でした。

ピッツァを食べ終わり、会計でも驚きです。あのピッツァ1枚500円くらいなんです。どんだけ安いんだって。

本当に最高でした。

このピッツァと出会い、日本でもこんなにおいしいピッツァを食べれるようになりたい、ナポリピッツァ職人になりたいと思うようになっていくことに・・・

この時はそこまで思ってはいませんでしたが。

その日は少しホテルの近くを散策し就寝。

ソレント~アマルフィ

この日は朝から電車とバスに乗りソレント~アマルフィへ。

ソレントはレモンが有名なのか、街路樹がレモンの木なんです。黄色いレモンの実がたくさん実っていてかわいい街って感じ。街を散策していると、レモンで作ったお酒のお店がありました。店の奥ではレモンを加工したり、レモンを絞り、お酒も造っており試飲もさせてもらいました。

イタリアに限った話ではないかもしれませんが、自分の知らない土地を気の向くままに自由に散歩するのって本当に楽しいです。ツアーではできないことがたくさんできます。多少の危険や不自由さはありますが、それ以上に得られるものは計り知れませんね。

すぐ話が脱線してしまいすみません。

次に行ったのはアマルフィです。

昔、俳優の織田裕二さんが主演していた映画にアマルフィというものがありましたが、その映画を見てから、ずっとアマルフィには行ってみたいと思っていました。アマルフィは地中海沿いにある町で、夏は海水浴にたくさんのリゾート客が訪れるそうです。私たちが言ったのは冬で海水浴はできませんが、地中海気候というのでしょうか、冬でも暖かく、過ごしやすい心地の良い天気でした。隣は海、隣は山、真ん中におしゃれな建物、表現がへたくそですみません。言葉では言い表せないほどの綺麗な景色で最高でした。

今回はアマルフィに泊まることはしませんでしたが、次回は絶対にアマルフィにも泊まりたいですね。あの斜面のホテルに泊まり、地中海から上がってくる朝日を眺めるとか、絶対に最高だと思うので。

でも今回はナポリに帰り、夕食は再びナポリピッツァを食べました。

昨日とは違うナポリピッツァのお店に入ると、そこには、日本人ピッツァ職人がいるのです。まさかナポリに来てまで、日本人に会えるとは思っていなかったので、とても親近感がわいて、いろいろとお話しさせていただき、記念写真も撮ってもらいました。彼とは日本に帰ってからも交流があり、数年後、日本のお店で働くことになった際にもお邪魔させてもらったりしました。今では、お店を持つようになり、これからどんどん有名になっていくことでしょう。

日本人が誰もいないナポリで一人修行するって本当にすごいことだって思うと同時に、うらやましささえ覚えました。

もっと早くナポリピッツァに出会い、そんな道があるというのを知っていたら、私も彼のようにナポリに行っていたかもしれません。

彼との出会いも私の人生に大きな影響を与えていることに気づかされますね。

彼の焼いたナポリピッツァも、もちろん最高のピッツァで、おなか一杯いただきました。

ごちそうさまでした。

ローマ

最終日はローマに行きました。

ローマではローマの休日の映画舞台を回るベターな観光をしました。真実の口に手を入れたり、トレビの泉、サンタジェロ城、コロッセオを回りました。

こういった観光地を回る時はフリープランよりも、ツアーの方がいいかもと感じる部分も。ツアーにはツアーガイドがおり、日本語で丁寧に説明してくれますが、フリープランでは、ただ回るだけ。建物自体はすごい建築物だけど、なんのために建てられているのか全く分かりません。ただ、私たちの様な観光客もいるので、ラジオとイヤホンを貸してくれ、説明の音声が流れるようなものもあったので、そういったものを使えば問題ないかもしれませんね。

フリープランのデメリットとしては、観光地に行くときは観光客を狙った、詐欺してくる人がいるので、注意しなければいけないこと。

コロッセオの前を歩いていると、人のよさそうなおじさんが話しかけてきて、ここで写真をとらないか??というジェスチャー。よかったら、衣装もあるし着てみなよと、半ば強引に衣装を着せられ、撮影。その後、お金を請求され、多額の金額を請求されるという・・・

旅に慣れてきた自分は、ここで言いなりに払っていたらばからしいと思い、拒否すると、今まで人のよさそうだったおじさんの顔つきが変わり、払えと脅すような雰囲気。何かされても怖いので、初めの半値くらいに値切った額を支払い、そこを後にしました。

こういったのも、ツアーであれば、注意するポイントをあらかじめ教えてくれているとは思うので、引っかからないと思いますが、自分は下調べもしておらず、旅行の軽いテンションで誘いに乗ったので、痛い目にあいました。フリープランで行く際はそういったことにも気を付けないといけませんね。

他に行ったところは、ローマの消防署に行きました。突然、行ったのにも関わらず、ローマの陽気な消防士さんが出迎えてくれたり、署長さんの様な人が案内してくれたりと、楽しい交流ができました。最後には、消防士のピンバッジや制服までプレゼントしてくれるっていう気前の良さ。イタリア人の人柄なんでしょうか。現地の人と触れ合うのって本当に楽しいです。

最終日のローマの晩御飯は、特に決めていなかったので、コロッセオの見えるレストランにふらっと入りました。そこで晩御飯を食べていると、外から「ドーン、ドーン」と大きな音が。外を見ると大きな打ち上げ花火が上がっているのです。しかも、コロッセオの後ろに打ち上げ花火。なんていう演出。すごい偶然の花火にイタリア旅行最終日を締めくくっていただきました。

本当にいろんなところへ行き、いろんなことが起きた、最高の新婚旅行でした。

こんなむちゃくちゃな旅行についてきてくれる嫁には感謝です。

結婚後

結婚後は共働きで子供が生まれるまでの人生は楽しもうってことで、貯金は少しで、残りはお互いにお金を使いました。

この頃の生活は小遣い5万+クレジットカード使い放題っていう家計管理。クレジットカードは使った分だけマイルが貯まるから、特に制限もなく使っていました。5万でも足りないので、コンビニ行けばクレジットカードを使い、5万の小遣いは飲み会にとっておき、月に何回も飲みに行く。飲みに行けば、2次回3次会は当たり前で、2~3万は使ってきます。そんだけ行けば、5万なんてすぐになくなりますよね。毎月のクレジットの請求は30万程。多いと50万近く行くこともありました。

借金の肩代わり

そんな日々を過ごしている時、仕事の先輩から

先輩
先輩
100万貸してくれ

この先輩は同じ職場で、嫁と結婚する前から仲が良く、パチンコ時代もよく一緒にパチンコへ行き、ご飯もよく連れって行ってくれ、いろいろな相談にも乗ってくれていました。気前が良く、ご飯に行けば全ておごってくれます。人柄も好きで、みんなから慕われる様な人で、自分の結婚式にも出てもらう程の仲の良さでした。

ただ、ギャンブルにはまっており、大金をかけるのは日常。たくさん借金をしているという噂もありました。そんな先輩からの100万を貸してくれというお願いに、対し浪費家の自分は100万ていう大金持っているわけもないので一度断るも

先輩
先輩
銀行行けば貸してくれるから大丈夫。利子付けるし、絶対に返すから

それでも貸すことは無理と断ると

先輩
先輩
お前が貸してくれんと俺は殺されることになる

その先輩はほかにも借金をしており、取り立てられてに追われている様子でした。

自分が借金をして100万円貸すことで、先輩の命が救われるのならと思い、貸すことに。

100万が返ってこないと困ると思い、先輩に借用書を作る旨を伝えると、初めは少し拒んでいましたが、しぶしぶ了承を得ることができ、司法書士の事務所に一緒に行くことに。そこで借用書を作ってもらい、月々5万の返済を約束してもらいました。

毎回、返済の依頼をするのも嫌だし、返金されなくなるのも嫌なので、毎月ちゃんと振り込まれるように先輩の口座から私の口座へ振込の設定をしてもらいました。

初めの半年くらいは毎月5万振り込まれていましたが、徐々に減っていき、しまいには振り込まれなくなることに。同じ職場だったので、催促しても、3万返金してくれるのがいい方で、1万だったり、今はないでまた返すと言われ、返してくれないことも。

なんか、こっちが貸してるのに、好きな先輩に取り立てる感じが悪いことをしているような、変な感覚に陥っていました。

銀行で借りた100万は利息がかかってくるので、給料が入れば早めに返済し、自分の借金はゼロにして置き、あとは先輩からの返済を待つことに。たまに返してはくれるものの、約束通りの5万が返ってくる月はありせんでした。

半分の50万が返ってきたころに、突然、

先輩
先輩
仕事辞めることにした

先輩が同じ職場だったから、逃げられることはないと思っていたのに、ここでやめられたらまずい、絶対に返してもらえなくなってしまう。と思い必死で止めましたが、先輩の決心は決まっていたようです。借金はどうしてくれるのか聞くと

先輩
先輩
退職金で一括で返すから

ここまで裏切り続けられるも、どこかで信じたい気持ちを持ってしまっていた自分は、先輩の言うことを信じることに。

そんな言葉が嘘だったことは言うまでもありません。案の定、退職金で帰ってくるお金は一切なく、先輩は仕事を辞め、連絡も取れなくなってしまいました。

このまま泣き寝入りするべきか。何か方法はないか・・・

友人にもこの段階で相談することに。

友人
友人
絶対に取り返そう

この友人は先輩のこともよく知っています。友人の協力もあり、何が何でも取り立て全額返金してもらうことに決心しました。

先輩が働いているという職場に行き、先輩が出てくるのを待ち伏せる作戦。

先輩の住所を知っていたので、家で待つ作戦。

しかし色々、接触を持とうとしても、なかなか会うことすらできません。

幸い先輩は親と住んでおり、先輩の親に相談することに。一から先輩とのやり取りを話、事情を説明すると、理解してくれたようで、責任もって返してくれると約束してくれました。

それからは毎月3万ずつ、返済してもらい、時間はかかりましたが、全て返してもらうことができました。

この出来事は私に多くの学びをくれました。

人にお金を貸してもいいことは何もない。どんなに仲のいい相手でもお金を貸すことで関係が崩れる。一度貸したお金を返してもらうには相当な労力が必要。などなど

倹約生活の始まり

そんな浪費時代に終わりを告げることに。

私が29歳に第1子が生まれ、32歳になったころに第2子が生まれました。

第1子が生まれたときは、まだ妻は正社員として働いていましたが、第2子が生まれたとき、妻から

妻
仕事を辞めたい

と言われ、正直、厳しいと思い反対しましたが、妻の意思は固く、彼女の人生に対し自分の考えを押し付けることは良くないなと思い、妻の考えを尊重し、仕事を辞め、専業主婦になってもらうことにしました。

今までの生活を続けていては貯金することなんて、夢のまた夢の話で、今までの家計はどんぶり勘定で、まず何にどれだけ使っていたのかが分からない状況でした。そこで、ざっくりと家計簿をつけてみることに。

家計簿なんて今までつけたこともないし、本屋で家計簿買ってくる?ノートにかく?家計簿アプリ使う?全くどうやっていいか分かりません。

とりあえずエクセルに項目を作ってひと月ずつ入力をしてみることに。

そうしているうちに現状が、だんだんと見えてくるのですが、初めは現状を把握するだけのつもりが、どんどん無駄を削りたくなっていっちゃうんですよね。気づいたら完全に節約スイッチが入っていました。

それからは固定費の削減、小遣いの減額、変動費の削減、節税対策、あらゆる家計に繋がる事に興味を持つようになり、現在に至ります。

最後に2022年現在の夢をお伝えします。

今務めている会社を辞め、ナポリピッツァのキッチンカーをします。

そう。あのナポリで食べたナポリピッツァを食べた感動を皆さんに味わってもらいたい。

ナポリピッツァを食べたことがない人、食べたくても近くにナポリピッツァを食べるお店がない所、高齢者施設、支援学校、病院、そんなところに出向いてナポリピッツァをお届けしたい。

キッチンカーの中に石窯を置き、焼き立てをすぐに食べてもらいたい。

真のナポリピッツァ協会という、世界にナポリピッツァを広めたいと始まった協会があるんです。日本にも協会が認定したお店があり、私の住んでいる愛知県にもいくつか、そのお店がありますが、まだまだ、数は少ない状況です。というのも、その認定店になるためにはいくつもの厳しい審査があり、試験があり、それらをクリアしなければなる事ができないんです。私はその真のナポリピッツァ協会の認定をキッチンカーで取得したいって思っています。調べたところ、日本にそんなキッチンカーは一台もありません。それが可能なことなのかはまだ分かりませんが、そんな無謀なことを考え挑戦することって絶対に楽しいと思うんですよね。

キッチンカーをしながら、ナポリピッツァの大会にも出たいですね。日本の大会で優秀な成績をとると世界大会に出場することができるんです。そこで世界一をとるっていうのも夢です。ただのいち会社員が世界一のナポリピッツァ職人になるなんて、「お前なに言ってんの?」って笑われるかもしれませんが、私は大きな声で言います。

世界大会で優勝して、世界一のナポリピッツァ職人になる!!

そして、キッチンカーで資金を貯めたら、景色の綺麗な山に小さなナポリピッツァの専門店を開いて、老後はゆっくりとピザを焼きながら、訪れたお客さんと会話しながら、楽しい人生を歩んでいくって感じですかね。最高の人生です。

 

私、妻、子二人の四人家族の大黒柱である私がこんな馬鹿げた夢を実現するためには、経済的に不安があったら叶えることはできません。

夢見る前に現実を見ろ!ってことです。

確かに会社員のメリットはかなり大きい、将来の独立を考えれば考える程、見えてきます。収入の安定、妻や子供の扶養手当、税金の控除、健康保険や厚生年金、旅行などの補助、財形、通勤手当や残業手当、雇用保険、退職金などなど。会社員をしていれば、よっぽどのことがない限り、くびになることはありません。収入も普通に上がっていきます。これらを捨てて、自分の夢を追うべきか。妻と子供たちを路頭に迷わせるのか。飲食店の廃業率は3年で70%、5年で80%以上といわれています。そんな厳しい世界で戦うことができるのか。

周囲は絶対に反対するでしょう。安定を捨て、リスクしかない業界へ飛び込む。夢を見ている私ですら、正直迷います。

「そんな情熱、そんな覚悟で夢なんて語る資格はない。迷うような夢ならすぐにあきらめろ」

いやいや、覚悟とか情熱だけで生きていけたら苦労しませんよ。そりゃ覚悟や情熱は大事だとは思いますが、ちゃんと冷静な視点も持つべきです。

冷静な視点とは数字です。

明確な数字を出し、その数字が実現可能なものであれば、安心して夢を追うことができるし、周りを納得させることができます。

まずは今の会社員の間に貯金をすること。その貯金を投資に回し、不労所得を得ること。投資以外でも不労所得を得ること。FPの資格を取得し、お金に強くなること。将来のかかるお金が分かれば、何歳頃にどれくらい収入があればやっていけるかが見えてくる、その収入を、どうやって得ていくか。ピザで失敗した時のリスクをいかに減らすことができるか。そのために今できることを考え、行動することが大切だと思います。

お金があれば、人生の選択肢が広がります。

32歳の頃に倹約生活に目覚め、そこからお金が貯まり始めました。あの頃はただお金が貯まることが楽しい、通帳を見てニヤニヤすることもありました。

ただ、貯金するだけ、貯金を目的にすることはダメだーって批判する人もいるかと思いますが、私は全然それでいいと思います。

今では貯金だけでなく、投資もして、資産を増やしています。

資産を増やすメリットはたくさんあります。

夢が見つかった瞬間に資産というものは大きな武器になります。夢に向かっていけるというのも、資産があるから。資産がなければ、今の会社に何が何でもしがみついていくしか、選択肢がないんです。精神衛生上よくないですよね。

資産があれば人生の選択肢が増えます。やりたいことがやれます。心が豊かになります。夢が追えます。

最近FIRE(Financially Independent Retire Early)という言葉をよく耳にします。

直訳すると経済的自立と早期リタイアだそうです。

完全に不労所得だけで、生活していくものがFIREですが、不労所得もあるけど、勤労所得もあるよっていうのがサイドFIREとなります。私のピザ屋の夢はこのサイドFIRE実現なくして成しえないと考えています。

ぜひ皆さんも倹約生活を実践して、サイドFIREを目指し、資産を増やしていきましょう。